ドイツ生まれの作家パトリック・ジュースキントの著書「香水:ある人殺しの物語」には香り高い花々からアンフルラージュの方法で芳香を得る様子が詳しく書かれています。アロマテラピー愛好家のなかでも語り継がれる「読むアロマテラピー」ともいえる芳香を巡る官能的で妖しい大人向けのストーリーです。ジュースキントの「香水」は2006年に「パフューム」のタイトルで映画化されています。映像を通じて香り立つような果皮や花から抽出される精油の魅力と魔力はアロマテラピーの持つ側面である密かな耽美性を表わしています。読んで心惹かれ、鑑賞してますます虜となる「香水」は私のおススメの作品です。以下に小説「香水」のなかからアンフルラージュ精油について書かれた部分を抜粋します。小説を読みながらアンフルラージュ精油がどのようにして得られるかを想像するだけで芳しい花々のなかに降りたような気持ちがします。
《七月末にジャスミンの季節が始まる。八月はオランダ水仙、どちらもとびきりデリケートで、こわれやすい芳香だった。日の出前に花をつむのはむろんのこと、全工程にわたってすこぶるこまやかな神経が必要で、温気一つが匂いを損なった。熱をもった脂にちょっと接触させただけで芳香が壊れる。すべての花のなかでとびきりの香気があって、抽出などできない。いわば手をかえ品をかえて、誘い出さなくてはならない。特別仕立ての部屋に冷たい脂を塗った板を用意して、その上に花を撒く。あるいは油づけの布でゆるやかに巻く。そんな風にして、ゆっくりと死の眠りを待たなくてはならない。三、四日するとようやく花はしおれ、匂いが脂に移行する。花を取りかえる。十度、二十度とこのくり返し。ポマード状の脂が芳香を呑みこみ、布の油が匂いを放ちだすころ、秋風が吹いている。それだけ苦労して手にする量といえば、解離作業の場合よりはるかに少ない。花の香気を油脂にしみこませる方法は冷浸法とよばれているが、この方法によるジャスミン油や月下香は、その香ぐわしさ、自然らしさの点でどの香水にも勝るのだ。》
出典:「香水」ジュースキント・P (訳)池内紀 文藝春秋社(画像は文庫の表紙)
※月下香とはチューベローズのこと、オランダ水仙も別名チューベローズと呼ばれています。